*南さつま歴史街道 - 民俗

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3 南さつま市における春夏秋冬の習俗

(1) 冬の習俗―伊勢講行事―

@南さつま市笠沙町片浦の御伊勢講ご神幸(伊勢講宿移り習俗)【一般文化財】

南さつま市笠沙町片浦の御伊勢講 御伊勢講は、もともと伊勢神宮参拝の経費を捻出するために作られた「代参講」の一つとされる。南さつまでは、こうした本来の目的とともに、賑やかなご神幸行列や疱瘡踊りが付随して伝承されているのが特徴。基本構造は、宿決め(くじ引き)→宿移り(ご神幸)→宿迎え(祭典・芸能披露)から成り立っている。
 片浦の御伊勢講は、現在は公民館から浜へのご神幸(浜下り)がメインの行事となっている。幟・道化面・祠(神輿)・神主(子役)と続く。途中狐やヒョットコの面をつけた先払いの道化役が、手に持つ棒(ケン=剣)で人々を叩いて回る。これに叩かれると縁起がいいという。子供は恐れて逃げ回り、大変華やかな御伊勢講になっている。(2004.2.11調査 南さつま市笠沙町片浦集落)
ビデオ:南さつま市笠沙町片浦の御伊勢講ご神幸

A南さつま市大浦町の御伊勢講疱瘡踊り(伊勢講宿迎え習俗)【国選択・県指定】

南さつま市大浦町の疱瘡踊り 疱瘡踊りは、伊勢講行事のうち宿迎えでの郷土芸能で、伊勢神の力にあやかり、ボンテンや榊を手に持って踊り、疱瘡神の退散を願うもの。
 また、この疱瘡踊りの前に馬方踊りが披露される。馬方踊りは、伊勢参詣の道中の模様をユーモラスに表現した劇。疱瘡にかかった旦那と馬方(馬子)が、伊勢神宮を訪れる。これは南薩各地に残っており、加世田小湊では旦那と馬子が茶屋を訪れるシーンから「チャヤンカカ」とも呼ばれる。(2005.2.11調査 南さつま市大浦町有木集落)
ビデオ:南さつま市大浦町の御伊勢講疱瘡踊り

表2 正月〜3月の習俗から
1月7日 【七草】鬼火焚き 金峰町
白川ほか
七日節句(七草の日)に行われる大きな火祭り。とんど焼き、左義長と同じ習俗。
1月15日 【小正月】ハラメウチ (現存せず) 小正月の訪問者行事の一つ。子供たちが新婚の家を訪れ、祝う。
2月11日 【伊勢講】笠沙町の御伊勢講 笠沙町
片浦ほか
笠沙町には4か所で伊勢講行事が行われる。野間池では、鼓笛隊を先頭に、伊勢神社から祠を担ぎ集落内を練り歩くご神幸行列が見られる。片浦では、幟、先払いの道化面(ヒョットコ・狐)、祠、子供の神主が続くご神幸行列がある。小浦では、浜でのエビス祭りに引き続き行われる御伊勢講集落巡行をマチマワリと呼ぶ。赤生木には、文化14年(1817)に御師がもたらした掛け軸が伝わる。
2月11日 【伊勢講】大浦町の御伊勢講 大浦町
平原ほか
大浦町には7集落に伊勢講行事が残る。男性による棒踊りと女性による馬方踊り・疱瘡踊りから成る。平原では、参加者全員が一斉に、前の人を榊で祓う、珍しい習俗も見られる。大木場では、御伊勢講の宿移りで、仮装した人々が辻々で祠をお迎えするオンケ習俗がある。
2月11日
【国選・県】
【伊勢講】大浦町の疱瘡踊り 大浦町
各集落
伊勢神宮参拝の道中を再現した芸能(馬方踊り)と、榊を振って疱瘡退散を願う疱瘡踊りから成る。
1又は2月
11日
【伊勢講】加世田の御伊勢講 加世田
久木野他
加世田地区では4集落で宿移り習俗が残る。小松原では、伊勢講の祭祀者(エショ役)をくじ引きで決める習俗が見られる(市内唯一宿決め習俗)。小湊中央では馬方踊りが披露され、敬老会にもなっている。
【市】 鳥越ほうそう踊り 坊津町
鳥越
(未調査)
2月20日 【岳参り】二十日祭り 笠沙町
野間岳
笠沙・大浦・加世田小湊地区から野間岳に登り、野間神社に参詣する。
3月3日
【市】
【三月節句】棒踊り 笠沙町
市崎木場
模造刀ではない鎌と薙刀を持つ棒踊り。先頭にはツキボウと呼ぶ削り掛けが付く。野間神社の春祭り「二十日祭り」で奉納される。

(2)春の習俗

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