大浦町の疱瘡踊り

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「大浦町の疱瘡踊り」基礎データ

大浦町の疱瘡踊りは、御伊勢講で披露される郷土芸能です。「馬方踊り」と「シベ踊り(小唄踊り)」の二部構成で、馬方踊りは伊勢神宮参拝の道中をユーモラスに描いた芝居です。この馬方踊りに続き、榊やボンテンを振って疱瘡退散を願う疱瘡踊りがあります。

「大浦町の疱瘡踊り」写真と解説

1.南さつま市における御伊勢講の構造

南さつま市内には、各地に御伊勢講行事が残る。特に市西部では盛んで、大浦町には疱瘡踊りが伝承されている。

伊勢講は、その先1年間の祭祀者(宿・会所・お旅所)を決める「宿決め習俗」から始まり、新しい宿までの「宿移り習俗」、新しい宿での「宿迎え習俗」と続く。

南さつま市伊勢講行事の構造

笠沙町では宿移り(御神幸行列)に重点が置かれ、大浦町では宿迎え(疱瘡踊り・棒踊り)が盛ん。加世田の御伊勢講は大浦町から伝播した可能性がある(小湊の疱瘡踊り・上津貫の宿移り習俗など)。また、金峰町・坊津町でも伊勢講行事・疱瘡踊りが伝承されている。

2.「大浦町の疱瘡踊り」の構造

大浦町の伊勢講で奉納される郷土芸能には「棒踊り」と「疱瘡踊り」がある。疱瘡踊りは馬方踊りと小唄踊り(シベ踊り)の2部構成。馬方踊りは、伊勢参詣の道中の模様を ユーモラスに表現した劇。この馬方踊りに続き、榊やボンテンを手に持ち、祓い清めるしぐさをするシベ踊りが踊られる。馬方踊りは、往路→神宮参詣→帰路の3場面からなり、旦那と馬方・小姓の問答や小唄が楽しい。伊勢の神は賑やかなこと・荒々しいことを好む神とも伝えられることから、伊勢講ではオイセサンを喜ばせ、集落安泰・厄病退散を願うさまざまな習俗が伝承されている。

大浦町の疱瘡踊 構造図

3.「大浦町の疱瘡踊り」の現状

集落名 2005年の御伊勢講行事 2011年の状況 

(さかき)
09:00 疱瘡踊り(榊研修館)
13:00 棒踊り(榊研修館~集落内8箇所)
疱瘡踊り中止(棒踊りは伝承)
福元
(ふくもと)
13:00 棒踊り(福元公民館) 同左
平原
(ひらばる)
13:00 棒踊り(平原公民館)
13:30 疱瘡踊り(同公民館)
同左
永田
(ながた)
15:00 棒踊り(永田公民館)
15:30 疱瘡踊り(同公民館)
同左
有木
(ありのき)
13:00 疱瘡踊り(有木公民館) 疱瘡踊り中止(直会のみ)
上之門
(うえんかど)
14:00 棒踊り(上之門公民館)
14:30 疱瘡踊り(同公民館)
疱瘡踊り中止(棒踊りは伝承)
大木場
(おおこば)
15:00 オンケ(大木場公民館~集落内) 同左

2011年現在は、2集落のみで疱瘡踊りが見られる。このほかにも、かつては各集落に疱瘡踊りがあった。現存している永田の疱瘡踊りには、馬子が馬をかたどった模型車を引く。また、平原では、棒踊り・疱瘡踊りに先立ち、榊で前の人を祓うしぐさをする習俗が見られる。

大浦町の疱瘡踊なお、棒踊りは本来オデバイ(花見)で披露されていたものが、春祭りの一つである御伊勢講に移行したとも考えられ、直接伊勢講との関連はない。しかし、女性が踊る優雅な疱瘡踊り / 男性が踊る勇壮な棒踊り という対比は、大浦町の伊勢講行事の特長ともなっている。

3.「大浦町の疱瘡踊り」のまとめ・特長

「大浦町の疱瘡踊り」記録映像

大浦町の疱瘡踊り(有木)
大浦町有木の疱瘡踊り

2005年
YoutubeWMP

大浦町の疱瘡踊り(平原)
大浦町平原の疱瘡踊り

2018・2019年
Youtube

大浦町の疱瘡踊り(平原)
大浦町平原の疱瘡踊り

2008年
YoutubeWMP

大浦町の疱瘡踊り(永田)
大浦町永田の疱瘡踊り

2009年
YoutubeWMP


〔実地調査〕
2005年2月11日大浦町有木公民館
2008年・2018年・2019年2月11日大浦町平原公民館
2009年2月11日大浦町永田公民館

〔参考文献〕
松原武実著『南九州歌謡の研究』(1993年、第一書房)
小野重朗著「大浦町疱瘡踊り」(『南日本の民俗文化4祭りと芸能』所収、1993年、第一書房)
小野重朗著「疱瘡踊り考」(同上所収)
小野重朗著「伊勢神を叩く」(同上所収)

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