十五夜ヨコビキ
「十五夜ヨコビキ」基礎データ
十五夜ヨコビキ(横引綱引き)は、二才衆(ニセ。青年)と子供組が綱を挟んで向かいあい、綱を引く十五夜の行事。「愛宕参り」の歌が終わるのを合図に引き合います。上から見ると龍蛇がうねっているようにも見える不思議な綱引きです。
- 場所:鹿児島県南九州市知覧町南別府門之浦公民館~ゲートボール広場( - ちらん・みなみべっぷ・かどのうら - )→地図
- 日時:旧暦8月15日 午後7時から(2003年時点)
- 文化財指定:国指定重要無形民俗文化財「南薩摩の十五夜行事」(枕崎市・南さつま市旧坊津町・南九州市旧知覧町)
- メモ:現在ヨコビキは、中断されているようです。
「十五夜ヨコビキ」写真と解説
1.十五夜行事における「ヨコビキ」の位置づけ
鹿児島では各地で、旧暦八月十五夜に綱引きを行う。綱引きの基本構造は、「材料集め」→「綱作り」→「綱引き」→「綱の再利用(相撲)と綱流し」となっている。
門之浦の十五夜ヨコビキは、いわゆる「綱引き」合戦の一種で、「横引きの綱引き」。二才衆(ニセ。鹿児島弁の青年)と子供組が綱を挟んで向かい合い、大綱に多数つけられた「引き綱」を引く習俗。
2.十五夜ヨコビキ(1992年・2003調査)
十五夜の夜、二才衆(青年のこと。今は壮年)は、公民館で十五夜歌「愛宕参り」の稽古をして、気勢を上げている。手拭の頬被りに締め込み姿。そこへ子供たちが、二才衆を迎えに来る。「潮は引きもしたが、綱引はまだじゃらそかい」。一度では聞いてもらえず、三度目に青年たちは腰を上げる。
浜まで二列で「愛宕参り」の歌を威勢よく唄いながら行進。二才は六尺褌に頬被り姿。「愛宕参り」は薩摩半島各地の十五夜行事で聞かれる歌で、門之浦では次のようにと歌われている(2003年の十五夜で、公民館の黒板に板書されていた歌詞)。下野敏見氏によれば、この歌は、近世初期以来の士族子弟の二才歌という〔下野1989,167頁〕
「愛宕まいれ、まいれ、それは袖も引かれた、それは愛宕の、それはソウレン、ソウカイナ。おもしろや、ヒョー。」
浜には波際に平行にして大綱が置かれている。二才衆と子供たちは綱を挟んで向かい合って立つ。「愛宕参り」を歌い、「歌上げ」役の次の掛け声を合図に、綱を引き合う。
「イヤーどっとこ、どっとこ、たった一頃ばかしや、エイヤー」
引きあうと言っても左右に引きあうのではなく、大綱の両側にたくさんつけられた「引き綱」を引く。
綱引が終わると大綱を回して土俵を作り、そこで相撲を取る。
ヨコビキを1992年に見たときには、まだ浜で綱を引いていた。それを堤防の上から見ると、波打ち際に横たわる竜蛇が、くねくねとのたうちまわるようにも思われた。2003年に見たときにはゲートボール場が会場になり、今はそれも途絶えてしまったという。
5.十五夜ヨコビキの特徴と意義
- 綱を挟んで向かい合って引く「横引き綱引き」。綱は上から見ると、竜蛇のようにくねる。かつては浜で行っていた。
- 「綱引き迎え」や「横引き」に、青年対子供組の抗争がよく表れている。
- 綱引き合戦による勝ち負けよりも、綱を引く(くねらせる)点に重点が置かれており、竜蛇に「悪いモノ」を憑かせケガレを取り除く、古い姿の十五夜綱引きと言える。
→詳しい解説は、「薩摩半島における十五夜行事の構造」
「薩摩半島の十五夜行事」記録映像・記録画像
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総集編:薩摩半島の十五夜行事
〔実地調査〕
1992.9.11及び2003.9.11(旧暦八月十五夜)
〔参考文献〕
下野敏見著「十五夜綱引の源流―門之浦のヨコビキによせて」(『東シナ海文化圏の民俗』、1989年、162―192頁、未来社)
このほか、拙著「薩摩半島における十五夜行事の構造」に記載。