市来の七夕踊り
「市来の七夕踊り」基礎データ
市来(いちき)の七夕踊りは、月遅れの七夕に行われる太鼓踊りと巨大な動物張り子のパレードです。太鼓踊りは、全員花笠を被り、士踊り風のゆったりとした歌で踊ります。行列には、鹿・虎・牛・鶴の張り子(ツクイモン)と、バレンを持った大名行列・琉球人踊り・長刀踊りが続きます。御霊信仰と虫送りの意味合いが強い伝統行事です。
- 場所:鹿児島県いちき串木野市大里地区の中福良(なかふくら)・門前・払山(はらいやま)集落→地図
- 日時:毎年新暦8月7日に近い日曜日。
- 文化財指定:国指定重要無形民俗文化財
- メモ:全体を通しての七夕踊りは、2022年が最後になりました。2023年からは、「七夕踊伝承会」により本踊りと一部のツクイモンが奉納・披露されています。かつては、3か所で同様の行列・踊りが見られました。2006年に調査したときは、午前8時から中福良、午前10時から門前、午後3時から払山でした。虎は凶暴なので、撮影注意!
「市来の七夕踊り」写真と解説
1.市来の七夕踊りの概要
市来の七夕踊りは、月遅れの七夕に行われる風流芸能。現在では、新暦8月7日に近い日曜日に開催される。
旧市来町大里地区の全集落数百人が参加する、大がかりな伝統行事。集落ごとに、祭りの役割分担が決まっている。
七夕踊りは、行列芸と太鼓踊りの2部で構成されている。
2.行列芸(垣回)
行列芸は、造り物と行列物で構成されている。
(1)造り物(ツクイモン)
行列では、まず造り物(ツクイモン)と呼ばれる4種類(鹿・虎・牛・鶴)の巨大な張り子が先導する。
- 「鹿」のツクイモン:鹿の張り子は、宇都集落が担当。4人の青年が張り子を担ぎ、鉄砲を持った鹿捕り3人も登場する。倒されては起き上がる鹿と、鹿捕りとの問答が面白い。
- 「虎」のツクイモン:担当は、島内集落。8人の青年が虎を担ぎ、4人の虎狩りが登場。胴体は竹を組んだ張り子で、人の足が隠れるように、ノブドウの蔓を垂らしている。頭はゆらゆらと自在に動く。その頭を目がけて、虎狩り役は、棒を突く。虎退治に成功し、酒を飲ませる問答が面白い。
- 「牛」のツクイモン:木場迫・中福良、寺迫・陳ヶ迫、払山・松原、堀・平ノ木場、中原が交替で担当。調査した2006年は2頭の牛が出た。20人ほどで担ぎ、前後に牛使いがいる。牛の逆立ちは圧巻。木と竹を組み、白布を被せてある。下部はノブドウを垂らす。面は、箕で作ったものという。
- 「鶴」のツクイモン:門前集落が担当。1人が鶴に入り、もう一人が餌撒き。カラダケ(真竹)を組んで、布をかぶせてある。口には、稲穂をくわえている。
(2)行列物
張り子のツクリモンの後ろには、3種類の行列物が続く。かつては鎧(甲冑)行列というのもあったが、現在は見られない。
- 大名行列(奴):「下に、下に」という先払いや、バレン(馬簾)を回す奴などが続き、参勤交代の模様を表現していると言われる。払山・松原、中原が担当(牛を出さない年)。
- 琉球王行列(琉球旅):琉球人の踊りをユーモラスに表現しながら進む。島津義弘公に謁見するため訪れた琉球王の行列を表現していると伝えられている。木場迫と中福良集落の出し物。
- 長刀踊り:下手中・池ノ原が毎年、寺迫・陳ヶ迫(牛を出さない年)。
3.太鼓踊り(本踊り)
本踊りとなる「太鼓踊り」は、鉦・入れ鼓・平太鼓からなり、全員が花笠を被る。踊りは古風で荘厳な雰囲気があり、賑やかな造り物の行列と対照的。歌詞に士踊りのものがあり、太鼓を手に持つ点とともに、加世田稚児踊りの太鼓踊り子隊に似ている。
【歌詞】(市来商工会webサイト「七夕踊り」から引用)
- 千歳まで、限れる松も、今日よりは 君にひかれて、万代や経ん
- 様は、生絹の染小袖 一重心で、うらめしや あわれわが身が舟ならば 思う彼の様、乗せあげて 風夜、なるとも、我が宿に (何れ、憂き身や)
- 雲の、絶間の、三日月か その面影を、みしよりも 心は消え消え、消え入るを その身はさて何となるかを 願いはなくとも とどろとんと鳴る神は 何と、その身は落ちるね 嫌なら嫌ともおしゃらぬ その身は何となるか
- 佐渡と越後は筋向かい 橋を架けたや、舟橋を 聞けば佐渡島、離れ島 越後風で、寒ござる (何れ、憂き身や)
- 尽きもせん 君が齢は、いつの代も 変わらぬ松の色にこそあれ
- 愛宕参りに、袖も引かれた それも、愛宕の、御利生かな お目出たや、色の方かな 沖に釣する、漁火か その面影を、見しよりも 心は、消え消え、消えいるを その身は、さて、何となるかな
- ここで、よし世は終わるとも あでし在はす、御前の 差した刀の、役立つ(じゃ)程に 千代に、八千代は経るとも 貴し在わす、御前の 君が治めた、国じゃ程に
4.市来の七夕踊りの特色と意味
下野敏見氏は、踊り場が大里の開拓者「床涛到住」供養塔前と斎藤実盛に因む「実盛殿」という森である点に注目し、「御霊信仰と虫追いの原理によってこの壮大な芸能が成立していることが、あまりにも明白」としている〔下野1980、110頁〕。
この踊りは月遅れの七夕に行われるので「七夕踊り」と名称がついている。七夕は盆へ続く先祖供養の行事。祖先を畏怖する御霊信仰と、太鼓を叩いて水田の害虫退散を願う虫追い(虫送り)習俗に根差している。
→参考:「薩摩半島における太鼓踊りの桴(バチ)」
〔実地調査〕
2006.8.6・2014.8.10
〔参考文献〕
下野敏見著『南九州の民俗芸能』(1980年、未来社)
文化庁公開「市来の七夕踊 - 文化遺産オンライン」(文化遺産オンラインWebサイト、2011.7.17閲覧)
市来商工会公開「七夕踊り」(市来商工会Webサイト、2011.7.17閲覧)
俵木悟著「大里七夕踊にみる民俗芸能の伝承組織の動態」(2010年、『無形文化遺産研究報告』第4号、独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所)
鹿児島県いちき串木野市教育委員会編・発行『市来の七夕踊民俗文化財調査報告書』(2024年)