市来の七夕踊り

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「市来の七夕踊り」基礎データ

市来(いちき)の七夕踊りは、月遅れの七夕に行われる太鼓踊りと巨大な動物張り子のパレードです。太鼓踊りは、全員花笠を被り、士踊り風のゆったりとした歌で踊ります。行列には、鹿・虎・牛・鶴の張り子(ツクイモン)と、バレンを持った大名行列・琉球人踊り・長刀踊りが続きます。御霊信仰虫送りの意味合いが強い伝統行事です。

「市来の七夕踊り」写真と解説

1.市来の七夕踊りの概要

市来の七夕踊り(虎の造り物)市来の七夕踊りは、月遅れの七夕に行われる風流芸能。現在では、新暦8月7日に近い日曜日に開催される。

旧市来町大里地区の全集落数百人が参加する、大がかりな伝統行事。集落ごとに、祭りの役割分担が決まっている。

七夕踊りは、行列芸と太鼓踊りの2部で構成されている。

2.行列芸(垣回)

行列芸は、造り物と行列物で構成されている。

(1)造り物(ツクイモン)

牛の造り物行列では、まず造り物(ツクイモン)と呼ばれる4種類(鹿・虎・牛・鶴)の巨大な張り子が先導する。

鹿の造り物 鶴の造り物 大名行列

(2)行列物

張り子のツクリモンの後ろには、3種類の行列物が続く。かつては鎧(甲冑)行列というのもあったが、現在は見られない。

3.太鼓踊り(本踊り)

太鼓踊り本踊りとなる「太鼓踊り」は、鉦・入れ鼓・平太鼓からなり、全員が花笠を被る。踊りは古風で荘厳な雰囲気があり、賑やかな造り物の行列と対照的。歌詞に士踊りのものがあり、太鼓を手に持つ点とともに、加世田稚児踊りの太鼓踊り子隊に似ている。

【歌詞】(市来商工会webサイト「七夕踊り」から引用)

  1. 千歳まで、限れる松も、今日よりは 君にひかれて、万代や経ん
  2. 様は、生絹の染小袖 一重心で、うらめしや あわれわが身が舟ならば 思う彼の様、乗せあげて 風夜、なるとも、我が宿に (何れ、憂き身や) 
  3. 雲の、絶間の、三日月か その面影を、みしよりも 心は消え消え、消え入るを その身はさて何となるかを 願いはなくとも とどろとんと鳴る神は 何と、その身は落ちるね 嫌なら嫌ともおしゃらぬ その身は何となるか
  4. 佐渡と越後は筋向かい 橋を架けたや、舟橋を 聞けば佐渡島、離れ島 越後風で、寒ござる (何れ、憂き身や)
  5. 尽きもせん 君が齢は、いつの代も 変わらぬ松の色にこそあれ
  6. 愛宕参りに、袖も引かれた それも、愛宕の、御利生かな お目出たや、色の方かな 沖に釣する、漁火か その面影を、見しよりも 心は、消え消え、消えいるを その身は、さて、何となるかな
  7. ここで、よし世は終わるとも あでし在はす、御前の 差した刀の、役立つ(じゃ)程に 千代に、八千代は経るとも 貴し在わす、御前の 君が治めた、国じゃ程に

4.市来の七夕踊りの特色と意味

下野敏見氏は、踊り場が大里の開拓者「床涛到住」供養塔前と斎藤実盛に因む「実盛殿」という森である点に注目し、「御霊信仰と虫追いの原理によってこの壮大な芸能が成立していることが、あまりにも明白」としている〔下野1980、110頁〕。

この踊りは月遅れの七夕に行われるので「七夕踊り」と名称がついている。七夕は盆へ続く先祖供養の行事。祖先を畏怖する御霊信仰と、太鼓を叩いて水田の害虫退散を願う虫追い(虫送り)習俗に根差している。

→参考:「薩摩半島における太鼓踊りの桴(バチ)


〔実地調査〕
2006.8.6・2014.8.10

〔参考文献〕

下野敏見著『南九州の民俗芸能』(1980年、未来社)
文化庁公開「市来の七夕踊 - 文化遺産オンライン」(文化遺産オンラインWebサイト、2011.7.17閲覧)
市来商工会公開「七夕踊り」(市来商工会Webサイト、2011.7.17閲覧)
俵木悟著「大里七夕踊にみる民俗芸能の伝承組織の動態」(2010年、『無形文化遺産研究報告』第4号、独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所)

鹿児島祭りの森