せっぺとべ
「せっぺとべ」基礎データ
せっぺとべは、鹿児島弁で「精一杯跳べ」を意味します。二才(青年)が、豊作を願い「せっぺとべとべ」の掛け声をかけながら、田んぼを足で耕すしぐさをする行事。ご神田のそばでは、デオドン(大王殿)と呼ばれる高さ3メートルの人形(仮面神)が、祭りを見守ります。
- 場所:鹿児島県日置市日吉町日置 日置八幡神社(ひおきし・ひよしちょう - ) →地図
- 日時:毎年6月第1日曜日 午前9時30分から
- 文化財指定:日置市指定無形民俗文化財(昭和58年)
- メモ:南隣りの吉利地区の鬼丸神社でも、午前9時からせっぺとべ行事があるが、仮面神は登場しない。
「せっぺとべ」写真と解説
1.日置八幡神社御田植祭と「せっぺとべ」
「せっぺとべ」は、毎年6月第一日曜日に行われる日置八幡神社御田植祭(お田植え祭り)の一習俗。御田植祭は昭和46年まで、旧暦5月6日、月遅れの新暦6月6日に行われていた。このお田植え祭りでは、田踊り(棒踊り系の民俗芸能)の奉納と、せっぺとべ、さらにシベ竿運びの習俗が特徴となっている。なお、せっぺとべのほうは、江戸末期に編さんされた『三国名勝図会』では、9月15日の放生会(豊祭・ほぜ)で行われていたことが記されている。
2.棒踊りと「せっぺとべ」
お田植え祭りでは、まず境内で、豊作祈願の踊りが奉納される。御田踊とも御田植踊とも呼ばれ、鹿児島のお田植え祭りでよく見る棒踊りの一種。棒踊りは、棒を持ちながら、地面を力強く踏みしめ、その土地に活力を与えると言われる民俗芸能。虚無僧踊り・鎌ん手踊りなど数種類の棒踊り系芸能が見られる。
この棒踊りを囃したて、御神田で泥を踏んで跳び回る習俗が「せっぺとべ」。「せっぺとべ」は、鹿児島弁で「精一杯跳べ」という意味。歌詞には、性に関する表現も多く、稲の豊作を願う感染呪術となっている。
(歌詞)親父が うっかた(妻)を 持たせんがために、
夜は夜話 昼は 昼ん寝。
オイヤマカ チャンゲ。
(囃し)チョシ・チョシ・チョシ・チョシ
また、「せっぺとべ」の青年達が、泥の中を跳び回るのは、足踏耕の名残とも考えられている。以前はこの祭りに馬も出ていたという(下野敏見氏談)。
3.デオドン(大王殿)
この足耕の様子を見守るのが、仮面神「デオドン」(大王殿)。台車を除く高さは約3メートルの仮面神で、仮面は2009年に新しく作り直されたもの。以前の仮面は、寛永18年(1641年)にこの地を治める島津久慶によって奉納されたものであり、痛みが激しいため、現在は保管されている。いわゆる王面であり、デオドンは、この土地を支配する神の姿を現しているとも考えられる。デオドンの胴体は竹網で作られており、それに梅染の着物を着せ、刀を挿している。
デオドンは、八幡神社から、川のたもとの御田(御神田)まで、シベ飾りをめぐらした道中をお下だり(ご神幸)する。
4.シベ竿運び
一行がご神田の南西端に作られた祭場に到着すると、神官による祭典の後、再び棒踊りが踊られる。この時、デオドンは祭場を通り過ぎ、ご神田の北西端までご神幸を続けて、ご神田の方に向き直す。
ご神田では、青年が棒踊りのシベ竿(まといのような形状)・幟旗を高く掲げ、神田の南東端からデオドンのいる北西端まで運ぶ。シベ竿は竹を根から引いたもので、10メートルにもなる。それを田の泥の中で、いかに優雅に、倒さないように運ぶかを競う。そばでは、他の青年達がせっぺとべ(足耕)を行っている。
しべ竿のシベは、祭りの後、各家に分けられ、蛇除けになるといわれる。下野氏は「より大きいシベ竿に、より強力な稲霊を招く」ことが本来の意味としている。現在では、せっぺとべの最中に役員のかたが配ってまわる。
5.「せっぺとべ」習俗の意味
お田植え祭の奉納芸「棒踊り」、棒踊りの余興としての「足踏み耕(せっぺとべ)」、そのセッペトベの歌詞、棒踊りの「幟旗・シベ竿運び」、一連の習俗すべてが、稲の豊作を祈願していると言える。そして、仮面神「デオドン」は、この豊作祈願の習俗が滞りなく進むことを、見守っているのだ。
吉利鬼丸神社せっぺとべ
「せっぺとべ」記録映像・記録画像
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〔実地調査〕
1997.6.1 / 2011.6.5 / 2012.6.2-3
〔参考文献〕
森田清美編『日置八幡神社デオドン(大王殿)再生事業調査研究報告書』(2009年、同事業実行委員会発行)
下野敏見著『南九州の民俗芸能』(1980年、未来社)