坊津のガラガラ船
「坊津のガラガラ船」基礎データ
ガラガラ船は、郷土玩具の車付き帆掛け舟です。カラカラ船とも呼ばれ、端午の節句に子供たちが引っ張って遊びました。その風物詩を引き継いだ「唐カラ船祭り」(からからぶねまつり)は、こどもの日の楽しいイベントになっています。
- 場所:鹿児島県南さつま市坊津町泊
泊公民館→九玉神社→泊浜( - ぼうのつちょう とまり くだま - )→地図 - 日時:毎年5月5日(2017年は午後2時半に公民館を出発しました)
- 文化財指定:なし(一般文化財・有形民俗)
- メモ:坊津では他の地区でもガラガラ船で子供たちが遊んだようですが、現在も実際に見られるのは「唐カラ船祭り」の時だけのようです。「唐カラ船祭り」は近年始まったイベントです。
「坊津のガラガラ船」写真と解説
1.唐カラ船祭りの概要
(1) 名称
南さつま市坊津町のガラガラ船(カラカラ船)は、舳先に付けた綱を引っ張って遊ぶ、郷土玩具の車付き帆掛け舟。泊地区では、こどもの日のイベントとして、「唐カラ船祭り」を催している。
昭和49年、工芸品としてのこの玩具の名称に「唐カラ船」を用いるようになり、昭和52年第1回の「唐カラ船競争大会」を開催した。その後、「唐カラ船祭り」の名称を用いるようになった。
この玩具の名称は、それまでカラカラ船又はガラガラ船と呼ばれていた。
(2) 伝承地
唐カラ船祭りになってからは、泊公民館から久玉神社へ宮参りし、神社でお祓いを受けた後、境内で競争。その後、泊浜に出て、浜で再びガラガラ船を引く。それ以前にも、端午の節句には、泊浜に出て子供たちが引くものだったという。
(3) 伝承日時
現在は毎年5月5日のこどもの日。2017年は午後2時半に公民館を出発した。祭りが始まったころは、月遅れの端午の節句に近い日曜日として旧暦六月第1日曜日にしていたが、梅雨の時期で雨も多いので、平成5年から新暦5月5日に開催するようになった。
(4) 伝承組織
泊区の行事として、公民館執行部・女性部・子供会育成会で実行委員会を作って実施している。
祭りには特に参加資格はなく、泊以外の子供でもガラガラ船を引くことが出来る。2017年は25人の子供たちが参加した。
かつては坊地区でも、海岸沿いの集落では引いていたという。同じ坊でも鳥越など山手の集落の子供たちは、引かなかったようだ。
(5) 由来伝承
唐カラ船の名称を用いるようになったのは、先に記したように昭和49年からで、祭りは昭和52年の「唐カラ船競争大会」から続いている。集落役員によれば、かつて子供たちがそれぞれ浜に出て引いていたのが見られなくなり、伝統行事の存続を願い、祭りとして「復活」させたものだという。
2.唐カラ船祭りとガラガラ船の実態
(1) 唐カラ船祭り
午後2時に泊公民館に集合して、午後2時半に公民館を出発。行列を組んで約20分かけ、「ハンヨーイ、サーサー」の掛け声で国道226号を久玉神社に向かう。神社では、午後3時ごろから稚児のお祓いがあり、奉納踊り「奴踊り」に続いて、境内でのガラガラ船競争が行われる。泊浜へ移動し、午後4時ごろから浜での奉納踊り・ガラガラ船競争・餅撒きを行って終了する。荒天で浜での行事ができないときは、神社で餅撒きをして終了となる。
公民館から神社へ向かう「宮参り」行列の順番は、①区総代②男の子(ガラガラ船)③久玉神社宮司④大船⑤奴踊りの踊り子(女子)⑥お囃子(区女性部)と続く。男の子は、浴衣に新聞紙で作った手作りの兜を被る。実測した兜は幅36センチ、高さ19センチで、真ん中に日の丸に見立てた赤い色紙が貼ってある。兜の作り方は昔から同じだったという。行列の「大船」には昔は大・中・子供用があった。今は「中」はない。ガラガラ船の形をそのまま大きくしたような模型船で、「大」は長さ4メートルほどあり、集落役員数名で引く。三味線・太鼓の囃子は、「道楽」と呼ばれる。
久玉神社では、拝殿にガラガラ船を持った子供たちが並び、宮司から「稚児のお祓い」を受ける。神事のあと、境内で奉納踊りがある。演目は、女子による「奴踊り(①高い山から、②丹波ササ)」、③「道楽」、婦人部による④「ハンヤ」の順。三日ほど練習し、2017年は坊泊学園の1年生2名も初参加した。それが終わると鳥居そばに5人一組で男の子が横一列に並び、境内でガラガラ船競争となる。ルールは特になく、船を引いて、境内を駆け抜ける。競争は数組行われ、転倒する男の子や泣き出す子もおり、にぎやかでほのぼのとした競争である。
神社での競争が終わると、泊浜へ降りて、再び女子による踊り(神社と同じ踊り)が披露され、男の子の競争がある。昔ながらの浜でのガラガラ船引きは、端午の節句の伝統行事として風情がある。最後に海上の漁船からにぎやかに餅撒きを行い、祭りが終了する。
唐カラ船祭りが終わると、ガラガラ船は、自宅で飾っておく。
(2) ガラガラ船
ガラガラ船は、遊びの少ない時代に、端午の節句に男の子の成長を願って、家族が作ってくれたものという。父は忙しいので、主に祖父が作ってくれた。漁師の家だけではなく、男の子がいるところはどの家でも作ってもらえた。この船は、毎年作り変えるということはしない。船大工に頼むわけではなく、各家で手作りした。兄から譲られたりすることもあるが、兄弟げんかになるのいけないので、兄弟それぞれに作ってもらえたともいう。
細工がしやすいので、杉材が用いられている。昔はヒノキを使ったものもあったという。帆は古くなった着物の切れ端を使い、昔はもっと素朴だったという。
ガラガラ船は、3枚の杉板による船体、4つの車輪、そして帆柱で構成される。船体は、竜骨に相当し背骨となる中央の板と、左右の舷側板とを、前・中・後3か所の横木でつないでいる。中央材の船首部には様々な絵が描かれ、紐で船首飾りがつけられている。ここにロープを結んで、男の子が引く。舷側板はイサバ船や弁才船の「はぎつき」を表すようにも見える。帆柱の頂部から船首と船尾に向けて紐が渡され、それにサイノコと呼ばれる布飾りがつけられている。
サイノコ(猿の子)は船員を表すともいう。「昔、カツオ船が嵐にあったとき、どこからか猿の子がやってきて、帆を降ろしてくれた。船の守り神」だと伝えられている。
ガラガラ船は、実測したものは、船の長さ55センチ、幅22センチ、舷側の高さ14センチ。帆の幅は31センチ、高さ36センチ。坊津歴史資料センター輝津館(きしんかん)で2017年に開催された「坊津ガラガラ船・カラカラ船企画展」で実測したところ、小さいものは長さ40センチ×高さ40センチ、大きいものは長さ65センチ×高さ80センチあった。サイノコは最も大きいもので8センチで、細長い布袋を裏返し、中に詰め物を入れてある。ガラガラ船は、2017年3月に鹿児島県伝統工芸品に指定され、この企画展では民芸品として長さ20センチほどのミニチュア船も展示されていた。
今の唐カラ船祭りでは船を引いて競争させるが、昔は、「風が出てくると浜に出ていき、帆をなびかせて競走した。引っ張るのではなく、浜風で走らせるものだった」という。→動画[坊津のガラガラ船]
(3) 節句の習俗
泊では、「こいのぼりを上げると風が吹く」と昔から言って、こいのぼりを上げなかった。その代わりにガラガラ船が、端午の節句の子供たちの楽しみだったともいう。
端午の節句の伝統食に、トウジンマッ(唐人粽)がある。種子島・屋久島のツノマキ(角粽)と同様に、モチ米を竹皮で三角形のおにぎり状に巻き灰汁で炊いたもの。泊ではアクマキはあまり作らず、ドウジンマッのほうを作る。他にフっのダゴ(よもぎ団子)・マメンダゴ(豆団子)もよく作るという。
桃の節句を泊ではサンガンノセッと言って、月遅れの桃の節句(4月3日)に、お弁当を持って浜に出る行事があった。
3.坊津ガラガラ船の特徴と意義
鹿児島には模型船を用いる春の行事がいくつかある。いちき串木野市羽島崎神社春祭りのフナモチ習俗と、日置市吹上町船木神社の船漕ぎ祭りである。
羽島崎神社のフナモチでは五つの祝いとして、五歳になる男の子が、父親の介添えで刳り船状の帆掛け船や機帆船・動力船の模型船を持って境内を回る。羽島の浜地区も漁村集落であり、男の子の成長を願う習俗として、ガラガラ船の意義と通じるものがある。
一方、船木神社の船漕ぎ祭りは、境内で氏子が模型船を順次渡していく。船木神社は、やや内陸部にあり、猿田彦神・大山積神を祀る。この習俗から、ガラガラ船のサイノコが、木造和船の造船に伴う、山と海との交流を示しているとも考えられる。
サイノコと同じ形状の飾りは、桃の節句にみられる下げもの(つるし雛)の飾りとも通ずる。こちらは女の子の成長を願う。
車付き舟の玩具には、捕鯨の盛んだった土佐や紀伊の鯨船・鯨車がある(帆はついていない)。しかし坊津のガラガラ船は、今は漁村にもかかわらず、立派な帆をつけた弁才船やイサバ船と呼ばれた運搬船を模したものである。かつて海運がさかんだったころの帆船の姿を、今に伝えているようだ。
〔実地調査〕
2005・2013・2017年の5月5日
〔参考文献〕
拙著:「坊津のガラガラ船」(『鹿児島民具』18号コラム記事、2006年、鹿児島民具学会)
〔初出〕
このページは、『鹿児島県の祭り・行事 - かごしまの祭り・行事調査報告書』(2018年、鹿児島県教育庁文化財課編・鹿児島県教育委員会発行)129~132頁所収の拙文「行事詳細調査報告20 唐カラ船祭り」を、ビジュアル版にしたものです。