勝目の太鼓踊り
「勝目の太鼓踊り」基礎データ
勝目の太鼓踊りは、上山田・中山田・下山田(西・東)の踊りで構成され、竹屋神社の秋祭り「豊祭(ほぜ)」に奉納されます。上山田・中山田の踊りには、ワラフリという先導役が見られます。島津義弘の朝鮮出兵に因むと伝えられています。祖霊供養と豊作感謝の太鼓踊りです。
- 場所:鹿児島県南九州市川辺町勝目地区 竹屋神社から地区内一巡( - かわなべ・かつめ・たけや - )→地図
- 日時:毎年10月19日午前8時ごろ竹屋神社奉納(午後10時ごろまでかけて終日勝目地区内を一巡)
- 文化財指定:
鹿児島県指定無形民俗文化財:上山田太鼓踊り
南九州市指定無形民俗文化財:中山田太鼓踊り・下山田西豊祭太鼓踊り・下山田東区太鼓踊り - メモ:かつて竹屋神社豊祭には、すべての踊りが奉納されたと伝えられていますが、現在では毎年順番に一つずつが奉納されます。奉納年の順番は、上山田→中山田→下山田西→下山田東。2011年は下山田東でした。踊りは終日ありますので、竹屋神社で見られなくても、地区内のどこかで踊っています。踊りの経路は、校区公民館などで知ることができます。
「勝目の太鼓踊り」概要
1.勝目太鼓踊りの由来伝説
『川辺町郷土史』では、上山田の太鼓踊りの項で、勝目太鼓踊りの由来をついて、次のように述べられている。〔郷土史1607ページ〕
(上山田太鼓踊りは)「この踊りは文禄元年(1592)島津義弘公の朝鮮出兵のおり、山田から従軍した兵士の出陣を祝って踊られたものと言われている。…勝目太鼓踊りは出陣、帰陣、凱旋の三つから成っていて、上山田のものは出陣の踊りで、先頭にわら振り、次に先口、中入、太鼓が続き、勇壮かつ優雅に踊る…帰陣は下山田、凱旋は中山田で踊られており、この三つが組み合わされるといっそう味わいがある。」
保存会の方から話を伺うと、「上山田の踊りは勇壮で、中山田・下山田のものは落ち着きがある」という。また、①矢旗に挿してあるカタナ(板で作った刀)が異なる(上山田のカタナは切れ味よく、下のものは刃こぼれしている)、ワラフリが下山田には見られない点も、伝説を補うものと言い伝えている。
2.勝目太鼓踊りの内容
(1) 踊り子の構成
陣形 | 上山田太鼓踊り | 中山田太鼓踊り | 下山田太鼓踊り |
---|---|---|---|
外円 | 露払い(ワラフリ - わら振り。数名) | (同左) | 先導役なし |
大太鼓(ワッデコ - 脇太鼓。30人前後) | (同左) | (同左) | |
内円 (ナカイリ) |
鉦(カシタガネ・ヒラガネ) | (同左) | (同左) |
小太鼓(カシタイリコ・ヒライリコ) | (同左) | (同左) | |
円陣の外 | 歌上げ(数名から10名前後) | (同左) | (同左) |
踊りの場を「ニワ(庭)」と呼び、ニワでは二重の円陣になる。内円になるナカイリ(中入り)は、振袖で女装して花笠を被る。カネ役は鉦を手に持ち、片手にT字形の桴を持つ。イリコ(入り鼓)役は、小太鼓を胸の前に吊るして、両手に持った桴で太鼓を打つ。外円になるワッデコ(脇太鼓)は浴衣姿で、胸の前に大太鼓を吊るす(中山田は肩からは吊るさず腰の前に結ぶ)。桴はワラ製。ワラフリは上山田・中山田だけに見られ、ワッデコの桴の先を広げササラ状にしたものを持って踊る。太鼓はない。
(2) 歌詞
唄い出し | 上山田太鼓踊り | 中山田太鼓踊り | 下山田西太鼓踊り | 下山田東太鼓踊り |
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空行く雲は | 演目3「カンカンコン」 | ― | 演目8「チンチンコン」 | 演目4「空行く雲」 |
末殿 | ― | ― | 演目9「スエド」の1番 | 演目5「末ど(末殿)」 |
豊後勢は | 演目6「チョイチョイチョイ」 | ― | 演目9「スエド」の2番 | ― |
細川殿 | 演目7「ドッツシ」の1番 | ― | ― | ― |
高橋殿の | 演目7「ドッツシ」の2番 | ― | 演目10「タカハシ」 | 演目6「高橋」 |
豊後の国の | ― | ― | 演目11「タンタンモチ」 | 演目7「豊後」 |
鎌倉の | ― | 演目4「横跳び」 | ― | ― |
十三の鉦の | ― | 道楽の一つ「十三鉦」 | ― | ― |
3.勝目太鼓踊りの特徴
- 上山田・中山田太鼓踊りでは、「ワラフリ」と呼ばれる先導役が登場する。これは、大太鼓(ワッデコ)の桴が発展したものと思われる。
- 大太鼓の桴は藁製で、近隣地区では南さつま市益山を除き見られない。太鼓を叩く際の音の大きさでは、木製域と藺草製域の中間に位置する。
音が小さい やや大きな音が出せる 大きな響きが出せる 藺草製(ナス状):
益山以外の加世田全域・大浦藁製(太縄状):勝目・益山
木製(ナス状):坊津木製(スリコギ状):枕崎
木製(スティック状):日置地区全域 - したがって勝目太鼓踊りは、念仏踊り系の祖霊供養を目的とした「厳かな太鼓踊り」と、虫送りから発展した豊作祈願(ここでは豊作感謝)の「勇壮な太鼓踊り」とが融合した興味深い民俗芸能と言える。
- こうした背景を持ちながら、のちに近世に薩摩藩内に広がった「朝鮮出兵由来伝説」が加わったものと考えられる。
以上、勝目太鼓踊りの特徴を示してみたが、結論には不十分な点もあり、引き続き比較研究を進めていきたい。
→詳しい解説は「薩摩半島における太鼓踊りの桴(バチ)」
「勝目の太鼓踊り」記録映像・記録画像
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〔実地調査〕
2003年(中山田)・2011年(下山田東)・2012年(上山田)・2013年(中山田)・2014年(下山田西)10月19日。
〔参考文献〕
編纂委員会編『川辺町郷土史』(1976年、鹿児島県川辺町発行)
下野敏見編『川辺町民俗資料調査報告書(2)川辺町の民俗』(1994年。鹿児島県川辺町教育委員会)
下野敏見著『南九州の伝統文化Ⅱ 民具と民俗、研究』(2005年、南方新社)
そのほか、南九州市教育委員会文化財課作成資料「勝目地区太鼓踊りの概要」・下山田東区作成資料「昭和58年8月川辺町下山田東区太鼓踊り中入鉦口伝譜」を参考にした。関係機関に感謝申し上げます。