大浦太鼓踊り
「大浦太鼓踊り」基礎データ
大浦太鼓踊りは、毎年8月15日のお盆に、島津忠良を祀る日新祠堂ほかで奉納・披露される郷土芸能です。「盆踊り」とも呼ばれ、先祖供養と虫送りの要素を持った太鼓踊りです。大浦町内の各集落が競演していましたが、現在は2集落のみが伝承しています。
- 場所:鹿児島県南さつま市大浦町日新祠堂ほか( - じっしん しどう- )→地図
- 日時:毎年8月15日 午前8時から。
- 文化財指定:なし (一般文化財・無形民俗)
- メモ:現在は永田集落と上之門集落の太鼓踊りが見られます。日新祠堂で午前7時にくじ引きがあり、順番が決まります。午前8時に日新祠堂に奉納したあと、大浦市街の西福寺で披露され、地元集落に戻って踊ります。
「大浦太鼓踊り」写真と解説
1.大浦太鼓踊りの概要
大浦太鼓踊りは、8月15日の盆に、大浦町永田の日新祠堂に奉納したあと、各集落に分かれて踊る。「盆踊り」とも呼ばれるが、集落民全員が踊るのではなく、踊り子隊だけが踊り、集落民は観客となる。かつて各集落に踊りがあったが、2006年に5集落になり、現在は2集落(永田・上之門 - うえのかど)のみで伝承されている。
鉦2人(イリ鉦・頭鉦)・小太鼓2人(イリコ・シイデコ)の中打ちと、大太鼓のヒラ、ウタ者で構成される。中打ちは、浴衣に花笠を被る。鉦・小太鼓の持ち方・打ち方は内山田・津貫・小湊と同様。ヒラは白装束に鉢巻き姿。肩から腹の前に大太鼓を吊るし、両側から桴を打つ。歌者は紺の着物に、色紙を垂らした菅笠を被る。隊形は中打ちと平太鼓とで二重の円陣を組み、歌者は中打ちと平太鼓の間に並ぶ。『大浦町郷土誌』〔539-543頁〕で歌詞を確認すると、歌い出しには「高橋殿」「朝露に髪結懸けて」「末殿」などがある。今は踊られないが、平原には「年の内より」「しぶ山」があり、小湊と共通している。また、柴内に「鎌倉」があった。
平太鼓の桴は藺草を束ねて折り曲げ、手元をくくってある。長さは約15cm。太鼓はほとんど叩かず、桴を頭上で回したり、太鼓を桴でこすったりして、動きを優雅に見せる。大きな音を立てるのは禁忌とされており、品(しな)を綺麗に見せるよう先輩から指導される。
小野重朗は、「回向踊り(えこう おどり)ともサベ踊りともいわれ盆の精霊を回向し慰めて稲虫の害を除いてもらうための踊り」としている〔小野1993 200-201頁〕。
2.大浦太鼓踊りの歌詞
(1) 現在も伝承されている踊りの歌詞
○永田 - 安政三年 本田文五郎書
一、此処は町々五百路(いはぢ)の町よ、一夜泊て鑪(たたら)踏む 鑪踏むとて独(ひとり)はいやよ、宿の娘と相鑪
一、高橋殿の世が代の時は、銀(しろがね)延びて襷(たすき)に掛けて 金(こがね)の桝(ます)で米(よね)計る
一、金菊(かねぎく)様は伊達者(だてしゃ)でござる、今朝結た髪をぱらりと解けて、是結てたもれ姉女さま。
一、千軒町を泊て見れば、十七、八の板の霰(あられ) 転合て解て目を覚す、細谷川を渉ろとすれば 跡から女郎が呼戻す
一、春は名所の花山小藤、々(こふぢ)咲初花紫
一、向通いやる若衆さま、紙が落ちたるな、々(かみ)が落ちたるな、いや鼻紙が余、言葉掛ださじ。
一、土佐から船が三艘よ見えた、先なは金か、中なは銭か、跡なは土佐の早稲米(わせごめ)か、わさごめならば斗斛(とかぎ)を渡せ、斗(とかき)しまえよか刀長せ、薩摩殿は長刀(ながかたな)。
一、向いの野辺に鳴鈴虫 恋しさに鳴くか淋しさになくか、朝科伐(あさくさきり)の目をさます。
一、朝露に髪結掛(ゆいか)けて紅花(はな)摘(つめ)ば慕兒(おうこ)が麾(まてり)、花も留らぬ、浜に出て貝はまぐりも眼に見(みれ)ば咲花
○上野門(上之門)
一、末殿の御門の御庭に入りしが 黄金の網が舞いかかる。
一、末殿の御門の御庭の樹に 鶴と亀と昼寝し、銭枕で米(よね)はかる。
一、年の内より咲く梅の花、かおりもふりも一しおうるわしく、野辺の風さえそよそよと、オーロン、コーロン、ココローン。
一、向い通いやる若衆さま、紙が落ちたるな。紙が落ちたるな、はなかみがよ。
一、朝露にかみ結いかけて花摘めば、おうこがまてり。花もたまらぬ、浜に出て貝蛤(はまぐり)も眼に見れば咲く花。
一、春は名所の花山小ふじ、小ふじ咲き初(そ)め花むらさき。
※『大浦町郷土誌』539-542頁から転載
(2) 大浦町太鼓踊りの各集落歌い出し一覧
柴内 | 大木場 | 永田 | 有木 | 上之門 | 福元 | 平原 | 小浜 | |
細谷川を渡ろうとすれば | ○ | |||||||
細谷川には梅・椿を植え | ○ | |||||||
君のつれない何時来ても | ○ | |||||||
たんな川には もみじを流す | ○ | |||||||
鎌倉の御所の御内に | ○ | |||||||
今度このたび はないくさ | ○ | |||||||
弓や長刃にほうどうもたせ | ○ | |||||||
ほし殿は 敵のよるよと | ○ | |||||||
はた殿は 分かるござるよ | ○ | |||||||
しぎから船の五艘ほどまいる | ○ | |||||||
屋島の磯に光は 星か蛍か | ○ | |||||||
此処は町々五百路よ | ○ | ○ | ||||||
高橋殿の世が代の時は | ○ | ○ | ||||||
金菊様は伊達者でござる | ○ | ○ | ||||||
千軒町を泊りてみれば | ○ | ○ | ||||||
春は名所の花山小藤 | ○ | ○ | ○ | |||||
向い通いやる若衆さま | ○ | ○ | ○ | |||||
土佐から船が三艘よ見えた | ○ | ○ | ||||||
向いの野辺に鳴く鈴虫 | ○ | ○ | ||||||
朝露に髪結掛けて | ○ | ○ | ○ | ○ | ||||
白い浴衣に六字を書いて | ○ | ○ | ○ | |||||
七つ八つから | ○ | ○ | ○ | |||||
橋の欄干に腰うちかけて | ○ | ○ | ○ | |||||
たんだほれほれ | ○ | ○ | ||||||
伊勢のおたまが | ○ | ○ | ○ | |||||
年の内より咲く梅の花 | ○ | ○ | ○ | ○ | ||||
しておけ桜の下に | ○ | ○ | ||||||
しぶ山を車にのせて | ○ | ○ | ||||||
末殿の御門の御庭に入りしが | ○ | |||||||
末殿の御門の御庭の樹に | ○ | |||||||
へのくうひへいまうはの | ○ |
※『大浦町郷土誌』539-542頁の各集落歌詞から、井上が集成した。
→参考:「薩摩半島における太鼓踊りの桴(バチ)」
〔実地調査〕
2006.8.15 西福寺・2012.8.15 日新祠堂
〔参考文献〕
編纂委員会編 1995 『大浦町郷土誌』 鹿児島県大浦町。