十五夜ソラヨイ(打出口)
「打出口のソラヨイ」基礎データ
十五夜ソラヨイは、子供たちが藁の蓑笠を着け、「ソラヨイ、ソラヨイ」と歌いながら、四股を踏むような仕種で踊ります。月と大地に感謝し、豊作を願う行事です。打出口のソラヨイは、その掛け声から、行事名を「ドッコイサ」・「ドッサー」とも呼びます。
- 場所:鹿児島県南九州市知覧町郡 打出口公民館( - こおり・うちでぐち - )→地図
- 日時:毎年旧暦8月15日(鹿児島では午後6時半ぐらいに月の出)
- 文化財指定:国指定重要無形民俗文化財「南薩摩の十五夜行事」(枕崎市・南さつま市旧坊津町・南九州市旧知覧町)
- メモ:ソラヨイは知覧町内の幾つかの地域でも行われています(十五夜ソラヨイ習俗一覧)。打出口では、午後6時ぐらいから子供たちが集落内へ「触れ回り」に出かけ、公民館前で綱引きの後、ソラヨイをします。
「打出口のソラヨイ」写真と解説
1.十五夜ソラヨイの構造
ソラヨイは、旧暦八月十五夜の夜、ワラで作ったカサ・ミノ・ハカマを付けた子供たちが、「ソラヨイ、ソラヨイ」と唄いながら、地面を踏みしめ、月と大地に感謝し、豊作を願う行事。このころは、稲が稔り、里芋・薩摩芋・栗などの初物ができる時期で、節替わりの時でもある。「ソラヨイ」とは、「それは良い」と土地を褒めたたえ、稔りに感謝の意を伝える言葉と考えられている。また、ソラヨイの袴は、相撲のサガリと同様の意味を持ち、ソラヨイの踊りは相撲の四股踏みの原型とも言われる。
薩摩半島の十五夜行事は綱引きを中心に行われる。そのうち、ソラヨイ行事の基本構造は、「材料集め(茅引き・藁貰い)」→「綱作り(綱練り)」→「綱引き」→「ソラヨイ+相撲→綱送り」となっている。ソラヨイ習俗は、最後の相撲の前に見られ、土俵入りとして行われる。
打出口での当日の習俗は、触れ回り→綱引き→ソラヨイ→相撲と続く。行事の名称は「ソレワヨイ」「ドッコイサ」「ドッサー」などと呼ばれる。何れも歌の歌詞から名づけられている。
2.打出口ソラヨイの装束
打出口ソラヨイの装束は、ツト(苞)と呼ばれる頭から胴まで一続きのもの。笠(帽子)の下に藁の垂れを長くつけ、ワンピースになっている。長さは140センチ程度で、それぞれ子供の丈に合わせて作ってある。
ツトの上部はピンと伸ばし、細くなったところで3方向に向けて、藁で作った取っ手状の耳をつけてある。また、5センチ四方の日の丸の旗を頂上に、その周りに色紙の旗を挿してある。
調査時点では、下は短パン又はジャージ、上は裸にこのツトを被る。裸足。
3.打出口の十五夜触れ回り~綱引き
以下は2001年の調査ドキュメント。
18:00 男の子が公民館に集まってくる。大人は親子会の役員のみ。公民館の庭でカンケリならぬ、「ペットボトルけり」をして、人数がそろうまで遊んでいる。ルールはカンケリと同じようである。庭には土俵が特設され、砂盛にススキをきれいにさして、ドッサーの飾りが準備されている。
18:20 子供組頭(オヤガシタ・親頭)の声で整列。集落の東西に分かれて触れに回る。東組は6人が呼びに行った。夕焼けがかげり、月が明るくなる。子供たちのことなので元気よくずんずん進む。道中次の歌をうたう。
「十五夜んツーナ(綱)を エッコンセー サーエッコンセー 今夜は来んと ムッガライッバー(麦わら1把) ホーイホイッ」
※歌詞を『知覧町郷土誌』で確認すると、かつては「サーエッコンセー」の次に「ソレワヨイノ十五夜ン綱ワ、エッコンセイ、サー、ベンベン」と続いていたようだ〔1982年版郷土誌、1335頁〕。
18:50 公民館にたどり着く。次は綱引き。戻って見ると、西に行った子供たちはすでに到着しており、大人や女の子も勢ぞろい。50名ほどになっていた。大人が交通誘導用の赤い点滅ライトを手に、公民館前の県道に出ている。普段は公民館の倉庫にしまってある既成のロープを解きながら、数十人で道路まで出していく。綱引きはまず子供対大人(3回)、次に男対女の綱引きを3回。
19:20 綱を公民館の倉庫に戻し、男の子は着替えに移る。今では下は短パン、上は裸。「恥ずかしい」の声が聞こえる。その間、庭にはビニールシートが広げられ、にわか桟敷席が完成。老人たちは公民館改築記念碑の土台石に腰掛けて見守っている。ビニールシートには女の子を先頭に、集落の人々がにぎやかにそろう。
4.打出口のソラヨイ
19:30 14人のドッサーが両手を腰に颯爽と登場。衣装は藁の帽子のようなものをかぶっている。元の藁の長さや身長にあわせて大きさはまちまち。140センチ程度。会場から拍手があがる。
〔1回目:ドッサー〕土俵の周りを左回りに2週。子供頭の「セッ」の合図で全員立ち止まる。手を打ち、足を踏み鳴らしながら次のように唄う。「サッ。」のところで、それぞれ手を打つ。
「ドッサードッサー、サッ。ドッサードッサー、サッ。ドッサードッサー、サッ」
〔2回目:ソラヨイ〕次に3週土俵を回り、再び「セッ」の合図の後、次の歌を歌う。動きは1回目と同じ。ソラヨイ、ヨイッのおしまいの「ヨイッ。」のところで、それぞれ手を打つ。
「ソラヨイ、ソラヨイ、ヨイッ。ソラヨイ、ソラヨイ、ヨイッ。ソラヨイ、ソラヨイ、ヨイッ。ソラヨイ、ソラヨイ、ヨイッ。ソラヨイ、ソラヨイ、ヨイッ」
〔3回目:ソラヨイ〕さらに3週後、2回目と同様の歌・動きを、もう一度する。
〔4回目:ダマイ〕3週して合図の後、歌をうたわずに、無言で手を打ち足を踏み鳴らす(15回)。リズムはパン、タンタタン。(パンは手、タンは足)。
〔5回目:通し〕最後に3週後、ドッサー・ソラヨイ・ダマイを通しでやる。場内は神秘的な雰囲気に包まれ、ドッサーたちの高ぶりも伝わる。
2週して退場。会場から盛大な拍手があがる。
※郷土誌で確認したところ、歌の「ソラヨイ」は「ソレワヨイ」と書かれている。また、「ドッサー」は「ドッコイサ」、子供頭の合図「セッ」は「シッ」と記されている〔1982年版郷土誌、1337-1338頁〕。言葉が発音しやすいように変化してきたものと考えられる。
19:40 大人たちによりドッサーの飾りが片付けられ、早めに衣装を脱ぎ捨てた男の子が、盛り土を崩す。観客席まで活きよいよく飛んでくる土。女の子たちの歓声がこだまする。老婆たちは毎年のことなので避難して笑いながらそれを見守っている。大人たちから「土は飛ばさずに早よ均して土俵にせんか!」の声。
19:45 ようやく出来上がった土俵で相撲。夜遅くまで公民館はにぎわったことだろう。
5.打出口ソラヨイの特徴
- 一続きになった笠の装束
他の地区では、笠・蓑・ハカマと3ピースとなっているものや、笠と蓑が一緒になった2ピースがあるが、打出口のソラヨイでは一続きになっている。 - 歌詞や踊りの変容
歌詞がやや簡略化され、衣装も締め込み姿から短パンを用いるようになっている。
調査時点(2001年)では、集落独自の保存会活動はなく、集落親子会が中心になって十五夜行事を行っていた。その時親子会の役員の方は、「今の70代以上の人は子供のころやっていたが、その後中断し、10年ほど前にようやく復活させた。しかし、現在の姿や歌が、昔どおりであるかははっきりしない」と話されていた。
それでも子供たちは、生き生きと誇らしくソラヨイを演じている。集落民も昔を懐かしんで喝采を送る。郷土誌を見れば歌詞や行事の意味も「それは良い」「どっこいさ」とはっきり分かる。また古老に聞けばさらに詳しく分かることもあるだろう。民俗行事に変容はつきものである。意義を再認識して、素晴らしい伝統行事がこれからも続けられることを期待したい。
→詳しい解説は、「薩摩半島における十五夜行事の構造」
「十五夜ソラヨイ」記録映像・記録画像
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ソラヨイ習俗一覧:十五夜ソラヨイ
記録映像総集編:薩摩半島の十五夜行事
〔実地調査〕
2001.10.1(旧暦八月十五夜) 聞書きは、親子会役員ほかから調査。
〔参考文献〕
拙著「薩摩半島における十五夜行事の構造」(『南九州市薩南文化』第3号、2011年、南九州市立図書館編・発行)
下野敏見著「ソラヨイ」(編さん委員会編『知覧町郷土誌』第8編第8章1323頁~1341頁、1982年、知覧町発行)