泊十五夜踊り
「泊十五夜踊り」基礎データ
泊十五夜踊りは、旧暦八月十五夜の女子の習俗で、昼と夜の2回踊られます。シベ踊り・扇子踊りがあり、円陣で踊ります。夜、月がでると再び踊りがあります。そこでは、すじ廻り(十五夜の触れ)から帰ってきた子供たちが流れ込む「踊り壊し」という習俗が見られます。
- 場所:鹿児島県南さつま市坊津町泊 泊公民館( - ぼうのつ・とまり - )→地図
- 日時:旧暦8月15日 午後3時から宮参りでの踊り 午後7時から公民館横での踊り
- 文化財指定:国指定重要無形民俗文化財「南薩摩の十五夜行事」(南さつま市旧坊津町・枕崎市・南九州市旧知覧町)
- メモ:綱引きは以前は国道226号で引いていましたが、現在は国道が改良され、歩道で行っています。
「泊十五夜踊り」写真と解説
1.十五夜綱引きにおける十五夜踊りの位置づけ
薩摩半島の旧暦八月十五夜行事は、綱引きを中心に行われる。その構造は「材料集め」→「綱作り」→「綱引き」→「綱の再利用(相撲)と綱流し」からなる。
十五夜踊りは、女子の行う「綱引きの付随習俗」。青年が中心となる綱引きと行事が交錯しながら繰り広げられる。
2.泊の十五夜行事
泊の十五夜行事は、八朔から始まる。土俵作りから筋回り(触れ)・十五夜相撲が連日続き、十五夜前日にツナネリ(綱ない)。綱は国道226号線をまたいでアーチ上に掛けられる(現在は歩道上)。
→記録動画:十五夜綱練り(泊の道伸べ式綱練り)
当日の行事は、男子の十五夜綱引き行事群と、女子の十五夜踊り行事群が交錯しながら繰り広げられる。十五夜踊りは、午後3時からの九玉神社「宮参り」と、夜の公民館前との、2回踊られる。踊りの途中、踊りの輪の中に男子が走りこむ「オドリコワシ」という習俗が見られる。十五夜踊りの後、綱引きを行う。終わると綱の先端を川に投げ込む。
時間 | 女子 | 男子 |
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15:00 | 公民館出発。「道楽」を踊りながら九玉神社へ向かう。 | 女子の後ろに並び,「お久米口説き」を歌いながら行進。 |
15:20 | 九玉神社へ到着。男子の拝礼を見守る。 その後,十五夜踊り保存会長の指揮で参拝。 |
九玉神社へ到着。公民館長に従い参拝。 |
15:30 | 十五夜踊り奉納 ①そんがばば様(シベ踊り) ②志布志千軒(シベ踊り) ③お染め(扇子踊り) ④潮来出島(扇子踊り) ⑤四季節のうち,春・夏・秋。冬は長いのでやらない。(扇子踊り) 道楽で退場。 |
神社の階段や,境内の木陰で,女子の踊りを見守る。 |
16:00 | 自宅へ三々五々帰る。(振袖から浴衣へお色直し1回目) | 「帆柱」を持った頭を先頭に,勇壮に口説きを歌いながら公民館へ戻る。一旦解散。 |
19:00 | 男子より遅れて公民館へ集まってくる。 | 公民館前で整列し,スジマワリ(辻周り)に出発。頭が大声で音頭をとり,子供たちがそれに続いて歌う。北・東・南(九玉神社まで)十五夜の始まることを触れて周る。 |
19:30 | 九玉神社で奉納したと同じ十五夜踊りを披露。 浴衣に着替えている。 |
スジマワリから公民館の近くに戻って来る。踊りの様子を窺っている。 |
20:00 | 踊りの途中で満月が昇る。踊り壊しが乱入すると一旦踊りは止まってしまうが,気を取り直して踊りを再開する。最後は,ハンヤ節やオハラ節で区民が飛び入り参加。 | 数回にわたりオドリコワシ(踊り壊し)を仕掛ける。踊りの輪に南から,東から,そして北から乱入する。一度終わると裏を回って,違う筋から出てくる。 |
20:30 | 一旦解散。(浴衣から普段着にお色直し2回目) | 引き続き二手に分かれてスジマワリをし,公民館前で合流。地区役員の指揮の下,綱をやぐらから下ろす。 |
21:00 | 綱引きに区民全員が参加。国道で,男性対女性。地区対抗。子供対大人など。 | |
21:30 | 右に同じ。綱引きのあった道路で,まず公民館前から東に曲がってずっと引き,再び公民館前から南に曲がって引き戻す動作をする。 そのあと,公民館前の川に綱の先を投げ入れる。 これですべてが終了。 |
2.女子の習俗「十五夜踊り」
十五夜踊りは昼の宮参りと、月が出るころの2度行われる。「宮参り」は、十五夜当日の午後に行われる九玉神社へのお参りで、女子は道楽を踊りながら神社へ向かう。青年や男の子は、女子の後ろから口説歌を唄いながら行列を作る。
神社に到着すると円形になって、十五夜踊りを奉納する。
衣装は振袖姿に鉢巻き。採り物は、踊りによりシベか扇子を持つ。シベは細竹の両側に、短冊状に切った半紙を、ぼんてんのように付けたもの。長さ50㎝ほど。扇子は白地に日の丸。
十五夜踊りは、現在はシベ踊り2曲と扇子踊り3曲。手踊りもある。
①そんがばば様(シベ踊り)
②志布志千軒(シベ踊り)
③お染め(扇子踊り)
④潮来出島(扇子踊り)
⑤四季節(春・夏・秋。冬まですると長いのでやらない)(扇子踊り)
ションガ婆さま(十五夜手踊り唄)
- しょんが婆さま、焼もちすきで
昨夜 九つ (セー)
今朝 七つ (ソンガオー、コガナシ、コガナシ) 昨夜 の九つは左程 もないが
今朝の七つは、食傷した。
(『坊津町郷土誌 上巻』575頁)
3.男子の習俗「柱かため」
青年や男の子が行う習俗で特徴的なものに、宮参りにおける「柱かため(担ぎ)」がある。「帆柱」は2mの木の棒に白布を巻いたもので、青年の代表2人が担ぎ、宮参り行列の中心になる。早水廣雄氏編集の資料では、次のように述べられている。
「昔、帆船時代は、その年の一番漁獲高のあった船の帆柱を借りて使用していたが、この帆柱を奉納し、その後これをいただいて帰ることは豊漁祈願の意味があった」
宮参り・すじ回りには、男の子はシベ笠(9本のホテイチクで作った円錐形の枠に新聞紙を張り、その上に半紙を切って作った短冊状の紙を張り付けたもの)を被る。高さ30センチ~40センチ。シベ笠について小野重朗氏は、南九州市知覧町で行われるソラヨイのヨイヨイ笠が簡略化したものと述べている〔小野1990、231―232〕。
宮参りの道中は、十五夜歌の「お久米口説き」を唄う。
お久米口説き(泊十五夜唄)
- ここはどこだと 伝えに聞けば ここは大阪の道頓堀よ
- どうと川村五右衛門殿よ 五右衛が娘に 名がお久米とて
- 年は十八 器量よき娘 目元口元鼻すじまでも
- 立てばしゃくやく すわれば牡丹 歩く姿は野百合の花よ
- どうと三丁目に 呉服屋がござる 呉服屋次男に名は貞七と
- 花見帰りに お久米さんを見初め あんな女が世にあるものか
- あんな女を 落とさんものか あんな女を落とすが男
- 空を飛ぶ鳥 我が家に帰り 硯引き寄せ墨すりながら
- 墨はじゃこうの 鹿の巻き筆で 男恋路をすらすら書いて
- 書きも書いたり 二尋二尺 合いの間に間に小唄を入れて
- 何かの便りで 渡さにゃならぬ 風の便りで渡したならば
- お久米ひらりと 開いてみれば 中の文句は面白けれど
- 武士と町とは 恋路は出来ぬ もうやこの文返さにゃならぬ
- 丸木舟かよ 文返された もうやこれから忍ばにゃならぬ
- 武士のことなら 早門閉じて 門を建てたは大工の細工
- 鍵をかけたは 鍛冶屋の細工 大工さんより鍛冶屋さんが憎い
以下省略。35番まで記されている。
(2005年に実際に使われていた歌詞カードを転載。郷土誌のものと異なる)
4.泊十五夜行事の特徴と意義
- 男子の十五夜綱引き習俗群と女子の十五夜踊り群が交錯しながら、地区をあげての十五夜行事となっている。
- 作物の豊作を願う十五夜行事で、男子の宮参りにおいて「柱かため」を行うことは、豊漁を願う漁村独特の習俗と言える。
- 十五夜綱引きが終わった後、綱を川に投げ入れる、綱流し習俗が残されている。
→詳しい解説は、「薩摩半島における十五夜行事の構造」
「坊津の十五夜」記録映像・記録画像
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坊津十五夜一覧:坊津の十五夜
記録映像総集編:薩摩半島の十五夜行事
〔実地調査〕
2005.9.18(旧暦八月十五夜)
〔参考文献〕
拙著「薩摩半島における十五夜行事の構造」(『南九州市薩南文化』第3号、2011年、南九州市立図書館編・発行)
小野重朗著 1990 『南九州の民俗文化』 374頁 法政大学出版局
早水廣雄編 2005 『坊津の独特な十五夜行事』 自家版。
泊区作成プリント「お久米口説き(泊十五夜唄)」(A3判歌詞カード)